キャリアに迷って悩んで専門職大学院に2年間通った話。

勤勉家だった七味おやじです。

2016年4月から2018年3月までの2年間、専門職大学院に通っていました。



学生時代、勉強は苦痛でした。

不思議なもんです。

大人になって、勉強したい!そんな感情が生まれるなんて。



専門職大学院を卒業してからもうすぐ5年が経過しようとしています。

当時のことを一度、振り返ってみたいと思います。

目次

迷子の迷子のキャリアさん

30代も終盤を迎え、当時の七味おやじは悩んでいた。

キャリアの方向性について。



七味おやじが社会人になったころ、日本の社会は終身雇用を前提としていた。

ジョブローテーションで複数のキャリアを経験した後、向いている職種に固定される。

その後、昇進・昇格を繰り返し、管理職への階段を登っていく。

そんな時代だった。



七味おやじは、そのようなキャリアをスタートしながら、その頃までに2回の転職をしていた。

すでに5種の職種を経験していたが、どの職種が自分の柱であるかわからなくなっていた。

転職をしてる間に、平社員→管理職→平社員という謎の職位経歴を歩んでいた。



所属する会社に骨を埋め、出世をしたいのか?

自分の好きな職種を決めて、専門家になりたいのか?(商品開発をしていた頃の記事はこちら

そもそも、自分の好きな職種、自分に向いている職種は何なのか?

仕事は程々にして、ワークライフバランスの取れた生活を過ごしたいのか?

起業したいのか?



わからない。何がしたいのか?どこを目指すのか?



気づくと、40歳はもう目の前。

気づくと、とっ散らかった汚い履歴書。

近くに友達がいない

学生時代を関西で過ごした。

就職を機に関東に移り住み、15年ほど過ごした。家族もできた。



2度目の転職で、家族を連れて関西に戻ってきた。

社会人になってから親しくなった友人は、関東にいる。

関西には、まだ親しい友人はいなかった。苦楽をともにした同期も先輩も後輩もいなかった。



当然、飲み屋で打ち明け話ができる友人はいなかった。

当然、飲み屋でバカ話ができる友人もいなかった。

国内MBAってなによ

一人、あれこれ悩む日々は続いた。

自分のキャリアを棚卸したい。

打ち明け話、バカ話ができる友人が欲しい。



そんな時、偶然、母校に専門職大学院があることを知った。



経営管理修士の学位が取得できるらしい。

どうやったら入学できる?

小論文。



藁にもすがる思いだった。

これはもうやるしかない。挑むしかない。

金がない

金があるわけがない。今まで金があった記憶もない。

学費いくらだろう。わちゃー。



奨学金?教育訓練給付金?



見慣れぬキーワードを眺め、調べ、全てがうまくいった場合のシミュレーションを実施。

家族会議を経て、挑戦を決意。



必死のパッチで小論文対策。

どんな人が来てる?

気合の小論文対策で無事合格。いざ、専門職大学院入学へ。



(当時の)私と同じくらいの年齢の方がたくさん。

もちろん(当時の私よりも)若い方もいれば、年配の方もいる。

キャリアは人それぞれ。

公務員もいれば、役員もいれば、起業した人もいれば、七味おやじと同じ平社員もいる。



でも、正直、おどろいた。みんな、大人になっても勉強するんだ・・・。

どうせ、意識高い系でしょ?

いやいや、一緒に飲むとみんな私と似た感じ。

ふざけた会話は十分すぎるほどに成立。



ただし私と同じく、人それぞれキャリアの悩みを抱えていたのではないだろうか?

身銭(社費の方も一部いた)を切って、時間を使って、何かを探している感じ。

忙しい毎日。でも、1年目は楽しく経過。

土曜日、日曜日は当然だが、平日も1〜2日ほど晩に授業を受けなければ単位が足りない。

もちろん、宿題もある。試験もある。

当たり前だが、仕事もある。キンコンダッシュで退社しなければ間に合わない。

忙しい。寝不足。でも、疲れない。



好きなことをはじめるとアドレナリンが出てくるのであろう。

同じように頑張っている周囲を見れば、弱音を吐いている場合ではない。

授業が終わった後に、さらに飲みにも行けるのだから、アラフォーはまだ若いのである。



とにかく、よく働き、よく学び、よく遊んだ1年間だった。

キンコンダッシュを決め込むためには、仕事でも成果を出さなければならない。

かけているお金や労力を考えれば、学びにも集中する。

あまりに忙しいので、遊べる時は徹底的に遊ぶ。



また、専門職大学院の先生方も素敵な方が多かった。

実務家教員と研究者教員がバランスよく指導してくれた。

実務に活かせるか?という観点で授業を選択するので、学生時代の勉強よりも遥かに興味深かった。



こうして、専門職大学院1年目はあっという間に過ぎていった。

充実した1年間であった。



そして、ようやく関西にも友人ができた。

これは本当にうれしかった。

しかし、自分のキャリアはまだ迷子のままだった。

悩んだ末のゼミ選択

専門職大学院では2年目からゼミが始まった。

卒業論文を書くために、1人の先生が5〜8人程度のゼミ生に卒業論文の指導をする仕組みだった。



このゼミ選びを1年目の終盤に行うのだが、それが大変だった。

なぜ大変か?



私のキャリアは依然迷子のままで、やりたいことが明確でないからである。

私は入学当初の課題であるキャリアの方向性を見つけられずにいたからである。



しかし、入学当時よりも幾分気持ちは軽かった。

1年間、幅広く授業を受けていく中で、おぼろげながら方向性が見えてきたからである。



私のゼミ選びのポイントは以下の3点だった。

  1. これから伸びる分野を研究すること
  2. 今後のキャリア開発に活かせること
  3. 今はまだ人気がないこと(競合が少ないこと)

私が熟考の末に選んだ分野は、データサイエンスであった。

ゼミの人数は1人。つまり、私だけ。マンツーマンである。

これは、結構ストイックな選択だったと思う。



データサイエンスなどやっとことがない(未経験)

1人である(孤独)

実務家教員がこわそう(恐怖)



しかし、そんなことを気にしている場合ではなかった。

お金はかかってるし、時間も費やしているし、おやじは休業中である。

元を取らなければ、家族にも申し訳ない。


覚悟は決まった。

かくして、2年目の孤独な修行の日々がはじまったのである。

想像以上にハードな2年目

覚悟はしてた。しかし、想像を遥かに超えていた。

七味おやじの最初のキャリアについて

七味おやじが最初に配属された部署は情報システム部であった。

窓もないサーバールームで1日の大半を過ごすという少し変わったキャリアからスタートした。

だから、IT系の情報に対して、飲み込みは早かった。

しかし、それは、当時から10年以上も前の話であった。

選択したデータサイエンスの分野で、卒業論文を書くということを考えてみる。

  1. 何かしらのデータを準備する。
  2. そのデータについて一通りの分析をしてみる。
  3. それだけでは新規性がないので、何かしらの新しい分析手法を調べる。
  4. その分析手法を使って、目新しい発見を見出すような分析をする。
  5. この分析手法が一体何なのか?類似手法はないのか?を理解し、説明できるようにする。
  6. この新しい分析手法がどういったデータに適用できそうか考察を述べる。
  7. この分析手法をどう改善すれば、より実用的になるか考察を述べる。

こんなのできるか?後悔する日が訪れるまで、あっという間であった



まず、最初の試練。

WindowsではなくMacを使いましょう。

先進的な分析手法はオープンソースであることが多く、UNIXベースのOSで動くものが多いからである。

もちろん、Macを使ったことはない。



次の試練。

前処理って知ってる?

データはちゃんと整形しないと使えないらしい。

前処理ってなんですか?



次の試練。

Tableauで可視化して、データ理解をしましょう。

Tableauって何ですか?



次の試練。

R言語のこのパッケージを使って、時系列分析をしましょう。

確かに授業で少しRを触ったが、スクリプトをサクサク書けるスキルなどない。



次の試練。

違う言語で面白そうなパッケージがあるので、そのパッケージで分析してみましょう。



・・・



鬼のような試練が続く。



環境構築も含め、毎週、課題に応えられない。

授業料を払っているのに、怒られる日々が続く。

悔しいので、意地でくらいつく。



そんな日々を半年以上続けていると、変な筋肉がつくものである。

最初は会話すら成立してなかったが、先生の言っていることがわかるようになる。

自分で手を動かすことも随分できるようになる。

ターミナルの英語だらけの画面もありふれたものになる。

自分で調べて、スクリプトも書けるようになる。



どうにかこうにか、卒業論文も提出できた。

おまけに、分析コンペティションで賞までいただいた。


本当に大変な2年目だったが、終わってみると感謝の気持ちでいっぱいだった。

まとめ

七味おやじは、「1:キャリアの棚卸」、「2:友達作り」を目的に専門職大学院に行きました。



「1:キャリアの棚卸」については、次のキャリアの方向性としてデータサイエンスの領域を見出しました。

現在、それに隣接する、あるいはど真ん中の領域で仕事をしています。



「2:友達づくり」については、多くの素敵な友人ができました。

卒業してから5年が経過しようとしていますが、いまだに交友のある友人がいます。

苦楽を共にした仲間は、七味おやじにとって大切な存在です。



ものすごく贅沢な2年間を過ごしたと思う七味おやじでした。

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