社会派ブロガーちきりんさんの「ゆるく考えよう」を読んで共感したこと3つ。

最近、情報インプットに励む七味おやじです。

社会派ブロガーちきりんさんの「自分メディア」はこう作る!(文藝春秋)を読んで著者に関心を持ち、もう一冊別の本を読んでみたいと思いました。

今回は、「ゆるく考えよう」(文庫ぎんが堂)を読んで共感したことを記事にします。

共感するポイントはたくさんあるのですが、その中で3点に絞ってご紹介します。

目次

「とにかく頑張る式」のやり方が非生産的

「とにかく頑張る式」で育ってきた私は、そのやり方が非生産的という意見に共感します。

朝から晩まで、そして時には休日も働き続ける生活ってほんとに疑問でした。

そうまでして周囲に認められたいのか?子供と過ごす時間よりもそれって大事?この働き方って体力的にいつまで続けられる?

でも、そういう働き方が当たり前の時代でしたので、疑問はいつしか消えて思考停止状態。

いつしか収入を得るということはそういうことなんだ!と、固定観念化していました。

「人生を楽しく、ラクに過ごすためには、もうちょっとゆるく考えた方がいいよね」ー私がそう考えはじめたのは、失われた10年が20年になり、明らかに時代が変わりつつあるにもかかわらず、今までと全く同じように「とにかく頑張る式」のやり方を続けることが、あまりにも非生産的に思えたからです。

ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法 ちきりん 2021年3月25日 第八刷 文庫ぎんが堂


序章の「はじめに」で、この文章を読んでしまったら、そりゃのめり込んでしまいます、この本に。そこから一気に読了。



1日に何枚パワポのスライドって生まれているのでしょう?

1日に何時間会議しているのでしょう?この社内会議に議事録、本当に必要ですか?

重箱の隅をつつくような指摘や質問に答えて一体なんになるのでしょう?



そんなことを感じたことがある方、きっといらっしゃるのではないでしょうか。

終身雇用、年功序列、右肩上がりの業績を前提とすれば、そういった無駄と思えることに耐えるのもよいでしょう。

でも、そういう時代はもうとっくに終わっているのに、旧態依然。



色々原因はあると思うのですが完璧主義をやめない限り、生産性は上がらないです。

わからんもんは「わかりません。考えてみます。」(で、全然意味ないことは考えてみない・・・)

知らないもんは「知りませんでした。調べてみます。」(で、全然意味ないことは調べてみない・・・)

それも処世術だと思うのですが・・・、沈黙で気まずい空気が流れたり、言葉を並べて取り繕ったり、そういう場面を随分見てきました。



下手なスライドでも、周囲の意識が合うために使い回されるスライドはキラースライドと呼んでいい。たとえ、それがどんなに下手で稚拙でも。

会議招集されても、自分がいようがいまいが議論が変わらないのであれば欠席すればいい。そして定時退社すればいい。無駄な残業代を会社は払わなくて済みます。

重箱の隅をつつく質問には、「わかりません。必要であれば調べてみます。」と答えたっていい。だって即答しなくても大勢に影響はないのだから。



完璧主義、保身、見栄が生み出す非生産性って確実にあると思います。しかも、めちゃくちゃ多いと思います。(さらに、それらが管理職発信である場合は、更にたちが悪いです。)

それらをやめるだけでも、それらをヒラリとかわすだけでも、生産性はすごくあがります。

そう、もうっちょとゆるく考えた方がいいよね。

分を知る

大きい家に住みたいし、高級車に乗りたいし、高級腕時計つけたいし、お洒落したいし、スペックの高いMacBook Pro欲しいし、Apple Watchも欲しいし、AirPodsも欲しいし、最新のiPhoneも欲しい・・・。

所有欲って尽きません。お金がいくらあっても足りません。

会社員で3人の子育てしながら、それら全てを満たすためにはどれだけ出世すればいいのかすら想像できません。



20代、独身のときは物欲が強く、また自分の大成功を根拠もなく信じてました。

30代、結婚して子育てが始まると金銭的に物欲は制限されましたが、まだどこかで信じていました。自分の立身出世を。

40代、アラフィフになるとそろそろ気付きます。分相応でいいなと。

そんな中で以下の文章を読むとアラフィフおやじにはささりますし、共感します。

 一方、総中流社会には「分」という概念がありません。みんな同じ「分」だから、特定のものが手に入るか入らないかは資金力だけの問題だと理解されます。だから資金を一点に集中させれば自分にも手に入るはず、という話になり、それが「局地的に(たとえば家だけは、教育だけは)集中して頑張る」という方法論を呼びます。

 でも、そういう頑張りは、長期的にどこかで無理がでます。ハイヒールを履いて1日中働いていたら足がゆがんでしまうのと同じです。分を知って無理をやめれば、生活には余裕も生まれるでしょう。

 自分の分を知り、その範囲で生きるのは、挫折でも屈辱でもなく、気楽に楽しく生きる手段であり、自然で無理のない生き方です。

ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法 ちきりん 2021年3月25日 第八刷 文庫ぎんが堂

若い時にこういうことに気付けるとよいのですが、色々あがいた挙句にようやくわかるようになってきました。

「分」という言葉があまり好きではありませんでした。しかし、今、「分」相応でいいなと思います。

あとは、自分の子供たちにもそう思ってあげることでしょうね。親の勝手な期待は、子供にとって重いですからね。

自分の表現と出会う


ブログをはじめたから共感できたというわけでもありません。

どちらかというと、「表現方法」という言葉が引っかかりました。

一番上の子と真ん中の子はバスケ一色の生活を送っています。

一番下の子は絵を書いたり、ものを作ったりするのが好きです。

それで、この「好きなこと」というのが自分の表現方法なんだろうなと。



自分は他人よりもバスケが上手いということは、それだけでアイデンティティなのでしょう。

バスケを通じて友達が増え、所属する環境が変わっていく。

バスケを通じて自分を表現していると解釈できます。



絵を書いたり、モノを作ることも同じです。

褒められるとうれしいし、さらに没頭する。時間を忘れて書き続ける、作り続ける。

創作活動を通じて自分を表現していると解釈できます。

誰かに自分のことを伝えたい、理解して欲しい。自分自身、今自分のなかにあるものを理解したい。これは誰もがもつ自然な欲求です。だから、その「自分の中の何か」をうまく表現できる方法やツールを手に入れられたら、とても幸せでしょう。

ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法 ちきりん 2021年3月25日 第八刷 文庫ぎんが堂

なるほどなー。言葉というツールだけではなく、「自分の中の何か」をうまく表現できるツールとしてのバスケであったり、創作活動であったりするわけだ。

どちらかといえば親目線での共感でした。



一方で、自分ごととして考えてみると心配も残ります。

仕事は「自分の中の何か」をうまく表現できるツールになっているのだろうか?

このブログは「自分の中の何か」をうまく表現できるツールになっていくのだろうか?

「自分の中の何か」をうまく表現できるツールは他にもうないのだろうか?

そもそも私は思ったことをはっきり言う性分なのでそんな心配は必要なさそうです。

七味おやじは、ちきりんさんの「ゆるく考えよう」をすごく良い本だと思いました!

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